narative.

物語。日常。代わり映えのしないもの。

自らの糞を見て、自らについて考える。

最近よく糞をする。

かといって以前は糞をしなかったのかというと、そうでもない。生まれてこの方糞をしなかったことはない。ただここ最近、具体的に言うと一ヶ月と言ったスケールで見たとき、ここ最近は比較的糞をする頻度が多い。なぜなのかはわからない。いや、わかる。エビオス錠を飲んでいるからに違いない。エビオス錠を飲み始めたのはもう一年ほど前からで、整腸剤として、というよりもマルチサプリメントとして飲んでいる。実際にあれには必須アミノ酸やビタミン群が多大に含まれており、しかも安い。これが重要なのだ。安い。2000錠入っていて2000円しない。サプリメントとしては大変安い。ただひとつ問題があり、基本的に整腸剤なので人によっては腹がゆるくなる。そして私は、選ばれし者だった。

だがエビオス錠を飲むことはやめられない。実際に体調がよくなっているからだ。寝起きがよくなるし、寝つきもよくなる。それと下品な話なのだが、えーと、やっぱり下品だから言わないでおこうかな……イメージが悪いし……言おうかなでも……でもなあ……言いたくないなあ……性欲がすごく湧くのだ。何回も猿になってしまう。別にその気はないのにただなんとなく猿になってしまう。この辺の効能は人によって千差万別だが、私は万年栄養不足なのでエビオス錠はとにかく効く。一時期やめたことがあるが、あからさまに不調になってしまった。

ともかくとして、そんなエビオス錠の効果もあって糞をよくする。数ヶ月前はそれほど糞の頻度は高くなかったのだが、今月辺りは糞がよく出る。糞係数が非常に高い。糞が出そうでいて出ない、実体的な糞はないのだが糞が出るかもしれないという期待感でトイレに駆け込んでしまういわゆる糞バブルの状態に陥っている。しかし実際に実物がどばどば出るので、今はもうバブルではなくファンダメンタルズとしての糞に落ち着いている。「糞が出るかもしれない」という期待感だけでトイレに行っていたのが、もはや実態として行っただけ糞が出る。実際に糞のインフレーションが起こっている。これは言うなれば糞の金融緩和、いや、肛門緩和だ。

そんな実態として出続ける糞を見て考える。投資とはこういうことなのだ、と。中国経済は日本モデルのバブルと言われ、弾ける弾けると言われ続けて久しいが一向に弾けない。私の糞と同じである。確かに契機としてはバブルだったのだが、投資に合わせて公共事業をどばどば出しまくり市場を活性化させ、政府にも民間にも糞をばらまいた。その結果中国経済はバブル、つまり理論値を越えた架空の張りぼて経済成長だったはずなのに、気付けば張りぼての後ろに本物が建っている。糞を出し続ける。糞を出せる環境を常に創出するということがどれだけ大切か。日本にはこれができなかった。期待経済を実体経済にあわせる、糞を出し続けることに気後れを感じてしまい、公共事業を縮小し消費税なんてものを導入し、どういうことか緊縮の道へ行ってしまった。自らの肛門から出続ける糞に恐れをなしたのだ。このままでは確実に切れ痔になってしまう。しかし、ならば家にウォシュレットを取り付ければいいのだ。紙も軟らかいものにすればいいのだ。汝、糞恐れることなかれ。糞は出るものである。いや、出さなければならない。糞を貯め込んでもなにもいいことはない。

今日も昨日もそして明日も、私はきっと糞が出る。そんな風に私のからだのなかでいろいろなものが循環していく。この流れをとめてはいけない。こどもたちが糞を自由に出すことができない、そんな世の中にはしたくない。

しよう、糞を。だそう、糞を。

糞は水面であなたを見つめている。微笑めば、糞はあなたに微笑み返す。糞を便器に溜めても臭いだけでいいことはない。ちゃんと流そう。