narative.

物語。日常。代わり映えのしないもの。

ずっと取っておいたビックリマンチョコ。

手元にある一枚の紙を眺めながら、これでいいのだよな、と思ってみたり、でもその数分後にはちょっと調べて落ち込んでみたり、いや、まだ自分にはなにかやれるのではないか、といくつかインターネットを巡ったりしてみたりするけれど、でも、やっぱり、手元の一枚の紙が自分には一番分相応だな、と最後には思う。

 

いつの日か掴みかけたまた別の紙だとか、実際に掴んでいた遙かに分厚い紙だとか、そういうものが記憶の片隅にあって、どうにもこの手元の紙が自分のものではないような気がしている。けれど、気がしているだけで、やっぱりこの紙が私なのだ。私に相応しい。

けれども。そもそも。

私はこんな一枚の紙でも、百枚ある紙でもなくて、私はもっと別のなにかが欲しかったのだと思う。そうなりたくて、ぼうっと夢想していたのだ。

 

実家から持ってきたひとつのブックレットを見る。小さい頃集めたビックリマンチョコが綴じてある。丁寧にひとつずつわけて、集められた分だけ綴じてある。いつの間にかビックリマンチョコは販売されなくなって、ブックレットの空きは半分以上にもなる。特段思い入れがあったわけではないが、いつか価値が出るのはないか、と感じて大切に今まで取っておいていた。

 

私は別に、完全にコンプリートしようとして集めていたわけではなかった。

ただたまたま買えたらその分だけ集めていただけで。積極的に買ってはいたけれど、他のお菓子を買わずにこれだけを買うんだ、とまではいかなかった。全部集まっていれば、調べるとそこそこ値が付くみたいだけれど、この中途半端さでは、せいぜい数百円がいいところ。

この先どれだけ待っても、価値が付くことなんてないだろう。だけれども私はこのブックレットを捨てられないでいる。もはやいつの日か、とも考えてはいないのかもしれない。

 

ただただ私は捨てられない。価値があったかもしれない、たくさん空きのあるこのブックレットを捨てられない。

 

手元の一枚の紙を見た。ビックリマンチョコほどキラキラしていないけれど、やはり、この紙が私に相応しい気がする。

耐え難い日常の重さ。

明日も明後日も恐らくは私たちの意識は連続して続いていく。

明日も明後日も恐らくは私たちがやることは変わりない。

そのことが私に吐き気を覚えさせることがある。続いているということが耐え難く重く感じられることがある。

日に重しが足されていき、日が重なるごとに鈍くなる。

 

勤務していたお店が潰れるらしい。突然の報せで、私は休みの日だったのでスタッフの中で一番最後に聞いた。私以外は十年以上勤めている人間ばかりで、みな、顔には出さないが一様に驚いていた。

「今月いっぱいまでやるから」店長が私に言う。

「有終の美を飾ろう」

この場合の有終の美とはなんだろう? このことを他のスタッフに話すと、大きく笑っていた。無理をしているように見えた。

 

今年の猛暑(ではなく、酷暑)は耐え難く、冷房が全く効かない。業務用のクーラーを導入しているはずだが、どうも年式も古くおまけに調子もよくなく、全く冷えない。“うだる”とはこのことだ。オマケに――この店はなくなる。私たちは失職する。

「やる気出ないよなあ……」

夜勤で一緒のスタッフが独り言のように呟いた。

「意味があるのかないのかよくわかりませんよね」

「俺もう、出たくないもん。次どうしようかなあ。有給と給付があるからしばらくゆっくりするけどさ……」

カウンターでそんな会話をする私たちも、お客様が来たなら普段通り接しなければならない。会員カードを作りたいと言われたら作る。商品の案内をする。返却日を報せる。私たちが彼らの日常の一部であるから、私たちもまだそうであるように演じなければならない。しかし、私たちの日常はもうなくなるのだ。

いつも通りの仕事をする。その中にいつもとは違う仕事が混じる。棚の商品が目に見えて減っていく。補充されない。カレンダーが減る。足されることはない。終わりが見えている。先がない。

 

ここでの私たちには、もう先がない。しかし私たち個人には先がある。少し先の天井から日常だったものががたんと落ちてきた。そこに置かれっぱなしだ。私たちは歩みを止めることができず、どんどんとそこに近づいていく。次第に形がハッキリしはじめて、きちんと見えたころには思い出よりも醜悪に感じるだろう。これでよかった、さっぱりした、と感じさえするかもしれない。だが“その先”に足を進めた途端、一歩一歩と離れていく内に、いかにそれがどんなに尊く輝かしいものだったのか嫌でも思い知らされることになる。

 

「これ、よかったら一月ばかりお店に貼ってくれませんか」

「はぁ……」

「いいですかね?」

「……別に構いません」

「ありがとうございます」

近所の薬局の方がスポンサーになっているらしい、なにかの演目のポスターを手渡された。カウンター裏に置いて、メモを残しておく。

『一月ほど貼ってほしいと○○薬局さんからお願いがありました』

そこまで書いて、一月後が何月何日なのかカレンダーを振り返った。

予定では、もうこのお店はない。それまでこのカレンダーが何人の人に見られるのだろう。それまでは私たちは誰かの日常の一部のふりをしなければならないのだろう。

 

その日からは、私はやることが多少は変わるのだろうか?

意識も多少は起伏に富むだろうか?

多分そうだろう。

続かなくなるのだから、重しと私が称したものはなくなるはずなのだ。

そうだろうが、吐き気が止むことは特になかった。日常はただひたすら続くしかないのだから。

僕のしょうもない親父。

俺の父親はしょうもない。人間の屑。まず職業がしょうもない。定義的には職にはついておらず、ただ日がな一日パチンコをして、なにかあったら“事務所”に寄って、夜には負けて怒って家に帰ってくる。それで30万円もらっていたらしい。ヤ○ザってすげえな。

 

次に子育てがしょうもない。基本的になんでも放置するくせに殴る蹴るだけはしっかりやる。それで骨折して医者に行けば、後ろで「階段で転んだんだよな?」と俺に言ってくる。首肯した。なにをしても褒めない。絵画コンクールで1番になっても褒めない。その後入賞常連になったけれど「1番じゃないからなあ」とか言ってついぞ褒められたことがなかった。でも罰だけは与える。サディズムがすげえな。

 

性格がしょうもない。あれをしてやった、これをしてやったばかりで「してやれなかった」「してしまった」ことを一度も口にしたことがない。謝罪をしない。小さい頃電気屋で店頭デモのパソコンを夢中になって遊んでいると、父親が切れてしまい店員を殴って怒鳴り散らしていた。お兄さんは鼻血を出しながら怯えきっていた。屑。すげえな。

 

考え方がしょうもない。俺が精神の病気になってもそれを認めようとしなかった。父から見るとただの怠け者らしいので、これで治るはずだと整体だの電気治療だの行かされた。俺は今も障害者手帳を持っている。顧みなさすげえな。

 

 

俺の父親は本当にしょうもない。職業が本当にしょうもない。抗争になって“指定”になって、家にいると俺達兄妹も殺されかねないから1週間に一度しか帰ってこなくなった。1週間に一度、いつ殺されるかわからないのにきっちり家に帰ってきて、お金と1週間分の食べ物を置いていく。ワケは何も言わない。俺はそれをいいことに学校はサボり夜更かしして笑っていた。すげえな。

俺達が県外へ出ることを望んでいた。自分の評判が悪すぎるからということらしい。“自分の子どもだと知られない方がこの子たちのため”だと思っていたようだ。すげえな。

 

子育てが本当にしょうもない。欲しいと口に出して言えば、どんなに家計が苦しくてもきちんと買ってくれた。なにかしても謝りさえすれば一応許してくれた。風呂場で、妹とふざけて溺れたふりをして「助けてー」と叫んでいたら血相を変えて駆けてきた。なんでも自由にやらせてくれた。すげえな。

裁判で親権は父に移った。母親は俺達を育児放棄していて、保育園の先生から見ても「お父さんに育てられなかったらあなたたちは死んでいた」らしい。ヤ○ザになったくらいだから自分だって碌な育てられ方をしていなかったくせに、知りもしない無理した男手一つの育て方で今俺は27歳になっている。「この子たちには母親がいないから、その分、物くらいは」と無理をして色んなものを買ってくれた。美味いものをたくさん食べさせてくれた。それもあってか、今では自身が惨めな暮らしをしている。すげえな。

 

性格が本当にしょうもない。今は自分だってお金なんてないのに、何も言わず家出して関東に行った馬鹿息子が「生活が苦しい」と言えばお金を送ってくれた。精神がおかしくなった俺が「死ぬから探すな」と書き置きすれば、あらゆる方面に連絡して探してくれた。昔から家出をしたら絶対に探して、見つけて家に帰した。すげえな。

いつも俺に彼女ができないか聞いてくる。お前は痩せればモテるぞと笑う。妹が結婚したとき、式場で泣いていた。家でも泣いていた。妹が癌になって死ぬかもしれないときには、どんなに金がかかっても治せる先生を見つけて付きっきりで看病していた。俺が難聴になってしまったときも、県で唯一治せる病院に入れてくれた。精神病も知識なんてないくせに方々に相談して一番定評のある病院に入れた。すげえな。

ヤ○ザである自分が長生きしていることに罪悪感と疑問を感じている。「あそこの○○さんはきちんと働いて真面目だったのに亡くなって、俺がまだ生きていて……」と最近よくこぼす。抗争で仲間内は皆死んでしまって、自分だけが生きていることが虚しいらしい。すげえな。

 

考え方が本当にしょうもない。生活費だけは絶対に取っておいた。今でも浪費癖が激しい俺に貯蓄の重要性と効果的な資金の分け方を毎回教えてくれる。どら息子は何度聞いても実行しない。すげえな。

今頃になって“自分が何をしてもらっていたか”にようやく考えが至った阿呆息子が仕送りやらを持って行くとお礼を言ってくれる。俺はしてくれるのが当たり前だとありがとうなんて言ったことがないのに。すげえな。

いつ死んでもおかしくないと思っているらしい。もう72歳になる。身体も弱って思考も鈍って、それでようやく自分の胸の内やなぜ昔そうしたのかを話してくれるようになった。これを書いていて、そういえば、という風にしてもらったことが湯水のように湧いてきた。涙がとまらない。すげえな。

 

息子がしょうもない。本当にしょうもない。自分のことしか考えておらず、いつまでも親から何をされただのしてもらえなかっただの不満に思っていた。何をしてあげられるかを考えていない。世間で言う毒親に自分の父親もピッタリ当てはまると、一致する部分だけをことさらあげつらっていた。一体どれだけのことをしてもらったのか考えていない。あとどれだけ話ができるのかわかっていない。息子は掛け値なしにしょうもない。

 

 

俺の父親はしょうもない。実にしょうもない。

俺にできる復讐は、父の残る余生をしょうもなく平和に静かに、奴の領分であるしょうもない争いとは無縁の生活にさせてしょうもない退屈のまま過ごさせることだと思う。なんだかんだ実家を訪れたら2時間ぐらい話して帰る。しょうもない。

未だに俺を心配している。しょうもない。笑って話してるがそいつは裏ではあんたの悪口を山ほど言いまくっていた人間の屑なんだぞ。しょうもない。騙されやがって。

騙されたまま笑って余生を送れ。震えて眠れ。しょうもない。

眼鏡がなくてもモノはみえる。

昔は眼鏡にとてもこだわっていた。「なくても別にいいじゃん」とよく人に言われた。私もなぜあそこまで眼鏡にばかり情熱を傾けていたのだろう。わからない。わからないが、眼鏡越しに見る景色や人の顔、故郷の高い空、花や山々……とても美しく感じられた。裸眼で見る以上に、日々の全てが輝いて、華やいで見えた。私は眼鏡でもっとたくさんの景色を見たいと、脳裏に焼き付けたいと夢中になっていた。

 

なにかの節に上京して、寂れた田舎を離れた。恐らく初めて、ただのひとりで暮らして、恐らく初めて、まともに仕事をして、恐らく初めて、大いに挫折をした。2年と半年いた。その間私はずっと裸眼で過ごした。ここに眼鏡があれば。そう思ったことは最初こそ何度もあれど、そのうち、ただ忙しく眼前を通り過ぎていく日常の速度に、そこから起こる風に、私の情熱は消えていった。8帖のワンルームから窓の外には、ちょうどタワーマンションがある。あそこの一番上からはどんな景色が広がるのだろう。考えてみても思い浮かばない。ただ私の心配事は明日の食事であったり、仕事のことであったり、支払いのことであったりする。ただ私は、その頃には眼鏡のことはすっかり忘れていた。

 

そのうちにうらぶれた故郷に戻ってきた。大変に疲れてしまって、もう私には“ひとり”であることが耐え難くなってしまった。しかし、私がいろいろな可能性を捨てて(あるいは求めて)故郷から出た2年と半年で全てが変わっている。なにごともうまくいかない。次第に目がどんどん“よく”なっていった。霞のようなものごとには考えが及ばなくなっていき、裸眼で“しか”私はモノを見ることが難しくなっていた。空想にピントは合わず、現実にしか私は焦点を合わせられない。世界はすっかり彩を変えて、沈んだ調子で語りかける――もはや自分には、眼鏡をかけたとして度が合うものはもうこの世にない。そうした暗い確信があった。私は一生輝きのない世界を生きるのかもしれないな、とぼんやり考えていた。ここにはなんと書いてあるのだろう。ここにはだれがいたのだろう。ここにはなにがあったのだろう。わからない。わからない。それがただ辛い。

 

「よかったら、売ろうか、それ」

眼鏡を貸すから、代わりにちょっと仕事をしてくれないか。そう言われ、多少はモノをよく見た数日後にそう言われた。

「分割でいいよ。生活苦しいだろうから、年金が出る月だけ支払ってくれればいい」

ラインの履歴を見ながら、握りしめている眼鏡をさすってみた。うすぼんやりとその輪郭がわかる。手の先から、冬の気温で冷えたアルミの質感がつたわる。どう返事をしたものだろう。私にはもう眼鏡はいらないのだが――

 

次の瞬間には、私はバイクに乗って少し遠くへ出かけていた。以前からもっとよく見たいと思っていたあの場所へ。まだ見たことのないあの場所へ。眼鏡で見たことのないあの場所へ。

何もありはしないと思っていた故郷の、下から眺める山々の岩肌。悠然と私の前に立ち上がるその美しさに、しばらくぼうっとして、私は眼鏡を構えて、しっかり“定着”させた。

 

世界に彩が戻ってきた。火が灯った。

眼鏡はなくても生きてはいけるが、あったほうが、やはり、世界は輝いて見える。

 

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自らの糞を見て、自らについて考える。

最近よく糞をする。

かといって以前は糞をしなかったのかというと、そうでもない。生まれてこの方糞をしなかったことはない。ただここ最近、具体的に言うと一ヶ月と言ったスケールで見たとき、ここ最近は比較的糞をする頻度が多い。なぜなのかはわからない。いや、わかる。エビオス錠を飲んでいるからに違いない。エビオス錠を飲み始めたのはもう一年ほど前からで、整腸剤として、というよりもマルチサプリメントとして飲んでいる。実際にあれには必須アミノ酸やビタミン群が多大に含まれており、しかも安い。これが重要なのだ。安い。2000錠入っていて2000円しない。サプリメントとしては大変安い。ただひとつ問題があり、基本的に整腸剤なので人によっては腹がゆるくなる。そして私は、選ばれし者だった。

だがエビオス錠を飲むことはやめられない。実際に体調がよくなっているからだ。寝起きがよくなるし、寝つきもよくなる。それと下品な話なのだが、えーと、やっぱり下品だから言わないでおこうかな……イメージが悪いし……言おうかなでも……でもなあ……言いたくないなあ……性欲がすごく湧くのだ。何回も猿になってしまう。別にその気はないのにただなんとなく猿になってしまう。この辺の効能は人によって千差万別だが、私は万年栄養不足なのでエビオス錠はとにかく効く。一時期やめたことがあるが、あからさまに不調になってしまった。

ともかくとして、そんなエビオス錠の効果もあって糞をよくする。数ヶ月前はそれほど糞の頻度は高くなかったのだが、今月辺りは糞がよく出る。糞係数が非常に高い。糞が出そうでいて出ない、実体的な糞はないのだが糞が出るかもしれないという期待感でトイレに駆け込んでしまういわゆる糞バブルの状態に陥っている。しかし実際に実物がどばどば出るので、今はもうバブルではなくファンダメンタルズとしての糞に落ち着いている。「糞が出るかもしれない」という期待感だけでトイレに行っていたのが、もはや実態として行っただけ糞が出る。実際に糞のインフレーションが起こっている。これは言うなれば糞の金融緩和、いや、肛門緩和だ。

そんな実態として出続ける糞を見て考える。投資とはこういうことなのだ、と。中国経済は日本モデルのバブルと言われ、弾ける弾けると言われ続けて久しいが一向に弾けない。私の糞と同じである。確かに契機としてはバブルだったのだが、投資に合わせて公共事業をどばどば出しまくり市場を活性化させ、政府にも民間にも糞をばらまいた。その結果中国経済はバブル、つまり理論値を越えた架空の張りぼて経済成長だったはずなのに、気付けば張りぼての後ろに本物が建っている。糞を出し続ける。糞を出せる環境を常に創出するということがどれだけ大切か。日本にはこれができなかった。期待経済を実体経済にあわせる、糞を出し続けることに気後れを感じてしまい、公共事業を縮小し消費税なんてものを導入し、どういうことか緊縮の道へ行ってしまった。自らの肛門から出続ける糞に恐れをなしたのだ。このままでは確実に切れ痔になってしまう。しかし、ならば家にウォシュレットを取り付ければいいのだ。紙も軟らかいものにすればいいのだ。汝、糞恐れることなかれ。糞は出るものである。いや、出さなければならない。糞を貯め込んでもなにもいいことはない。

今日も昨日もそして明日も、私はきっと糞が出る。そんな風に私のからだのなかでいろいろなものが循環していく。この流れをとめてはいけない。こどもたちが糞を自由に出すことができない、そんな世の中にはしたくない。

しよう、糞を。だそう、糞を。

糞は水面であなたを見つめている。微笑めば、糞はあなたに微笑み返す。糞を便器に溜めても臭いだけでいいことはない。ちゃんと流そう。

rが足りていなかった。

narative.

このブログタイトルを思いついたときは「あ、おしゃれだ」と心底感じた。みなさんはご存じだっただろうか、narative.ナラティブと読みます。少し前にゲーム業界で大流行した言葉で、意味合いは『物語』なんですがただの『story』とは違っていて、もっと日常と地続きのそんなに劇的なものではない物語。大きな世界ではない小さな世界。ありふれた話、主観のお話。そんな意味合いのnarative.

これをタイトルにして毎日のように暗い話をし続けるのはそこそこ面白いのではないか、たぶんストレス解消にもなるし、うん、いいぞ。そう思ったんですね。以前やっていたブログは、ちょっと負荷がかかりすぎていた。月間6万PVもあって(自慢)、毎月ブログで収益があって(自慢)、自慢じゃないですが(自慢)そういう状態のブログは全国的に見ても数%なのです(自慢)。コンテンツの力に寄るところがかなり大きいですが、私自身の翻訳文も結構よかったと自負してます。ただ新しい曲を訳したのはなんかすべってたね。

でも元々趣味で地味にやっていたブログがなんだかえらく見られるようになって、しかもお金も入ってくるから広告の位置だのサーチコンソールでの結果だのアナリティクスだのそれなりに使って試したり、そのうち「今日もブログ書かなきゃ……」となっている日が多かった。「最近対訳をやっていない、とりあえずコンテンツ数を増やさなければ……」というような。いやいや、俺はブロガーになりたいわけじゃない。会社に縛られない自由な生き方!フリーランス!俺は社会に飼い殺しにされる犬じゃないぜ渋谷のスタバで生きていくんだ!ってメンタルの人間ではない。どっちかって言うとできることなら普通に会社に行って普通に働きたい。それができないならしょうがなく自営のまねごとをしているだけであって、だいたいいつでも転職サイトを眺めているし、だいたいいつでもエージェントのオファーは見てます。

そんなメンタルだからブログを閉める決意をしたときも葛藤はなかった。収入源が減ったのはかなり痛いのですが、精神的負荷が大きかった。あとやっぱり権利問題でごたごたするので余所様のコンテンツを扱うのはよくない。今後歌詞対訳をやるなら権利問題をクリアしているブログサービスがあるそうなので、そういったところでやります。

で、話は戻ってこのブログ。まだ記事数は4つだし初日だけ新規にしては少し読まれたけど更新しないから今では閑古鳥。でも、それでいい。このブログは痰壺なのです。俺が好き勝手暗い話を書き殴る場所。Twitterは文字数が少ないので嫌だな。こう、長々と、思考を垂れ流して、別に他人のためでなく自分のためだけに書きたい。だから見出しタグとか使わない。見出しタグとか目次とかメタとか使い出したら木の下に埋めて貰っても構わないよ!!

また話を戻して、とにかくこのブログは俺のnarativeなことを綴る場所なんですね。narative.かっこよすぎる。語呂がいいよね。narative.最初はなんかnative的な英文をいろいろ作っていたのですが、どうもしっくりこない。あ、そういえば。そこでnarative.いやぁ、知識は持っていても困らない。いくらでも持っていたい。

でも自分の記憶にある通りの綴りが正解なのかわからず検索。単語を検索するだけで翻訳結果が出るgoogleはほんまにええな。

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一度きちんと確認をしないと駄目ですからね。ブログのタイトルなんてそりゃ重要ですから。写真だと画題。画題なんてどうでもいいみたいな風潮ありますけど、写真一枚から得られる情報量なんてたかが知れてる。絵画のパクリから発生したくせに気取っているんじゃないって話ですよ。説明は要りますよ。それはいいとして、タイトルがスペル違いなんてことがあった日には木の下に埋めて貰っても

 

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ん?

 

 

 

 

 

 

 

『narative....』

 

 

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rが足りていなかった。

 

 

 

 

 

まとめ:きちんと確認をしよう

 

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大人になると賢くなるのだろうか。

私は性格診断が好きだ。定期的にやっている。エゴグラムだのエニアグラムだの、最近だとエムグラムというものが流行っているみたい。なにが楽しいのかは本人でも言語化しづらいのだが、楽しいからやるというより別の目的がある。性格診断はやる時期によって結果が変わるので、その時々で「今の私はこういう傾向なのだな」と把握して普段の行動に気をつけたりする指針にしている。そう、性格診断は結果が変わる。これは向こうも想定しており場合によっては明言もしている。性格とは不変ではない。でなければ私たちは今でもおむつを穿いているはずなのだ。だから診断内の質問への答えも時々で変わる。

だが、そんな性格診断の質問でいつ頃からか答えが固定化されてしまったものがある。「自分の存在の意味について深く思索したりする時があるか」。こういった質問。

10代と20代少しなら、この問いには間違いなく「かなりそう思う」というチェックボックスをつけた。ところがいつの頃からか、この問いには決まって「まったくそうは思わない」と答えるようになってしまった。

「自分はなぜ存在しているのか」という問い。形而上学的には『自我体験』と呼ばれるこれは世界的に共通の思考で、概ね10代前半から後半にかけて自然発生し、そして消滅していく。おそらく誰もが考えた『答えのない問題』。考える内に「くだらない」と一蹴して人は大人になっていく。こうした答えのないものに時間を労するのは、一般的に子どものやることと見なされる。そうした体験を経て、人間は社会的動物として成熟し社会生活に適応した成人になっていくのだ。

私はこうした問いを20代になってもずっと行っていた。暇があればこういったことを延々と考えていた。生きるということは、こうした問いを自分に出して、僅かばかりの気づきという鉱脈を掘り当てることだと思っていた。まだまだ子どもであり、未熟だったからだ。今20代後半に差し掛かり、一般よりもずっと遅くではあるがようやくこうした問いをしなくなった。“全く”やらなくなった。今において私の生活とは何か?――人並みに働くこと、生計を維持すること、社会に位置すること。

SNSをやっていると、年下の人たちがこうした命題に取り組んでいる様子が時折うかがえる。「こうした時代もあったなあ」と自らを振り返ったりもする。表現者を目指す者であれば「時代に先駆けた表現とは」とか「本質とはなにか」とかなにがしか。私も色々と暗中模索した。今はしていない。全くしていない。生きることになんら関係のないからだ。生計維持に直結しないからだ。

そう、私は今、ほんとうに、ものを考えていない。「自分はなぜ存在しているのか」、そんなことはくだらない問いだからだ。実学ではない。「表現とはなにか」、日常に埋没している人間にとってはなんの慰みにもならない。確かにそうだ。私はこれらを考えないことで大人になった。社会的になった。今これらを考えようとしても、薄ぼんやりとしてうまくまとまらない。高度な数式を見ているような気分になる。

私は大人になった。賢くなったはずなのだ。こんな問いはしなくてもいい。はずなのだ。なんだろう、この言いようのない悲しみは。

賢くなった。そうだろう。子どもではなくなった。そうだろう。社会人。そうなのだろう。無駄なことを考えず、社会に生きることを優先する。私たちは高等遊民ではない。生きなければならない。そのために考える。“実用的なこと”を。だから、賢いのだ。それが大人になることなのだ。レゴブロックで自由にものを作るのは子どもの遊びだ。大人は決まったものごとを決まったように動かさなければならない。なぜなら、賢いからだ。

たまに、賢くないままで大人になった人間が、新しい決まったものごとを作る。彼らは賢くないから疎まれたり、陰口を言われたりする。「好きなことをやってお金を稼いでいる」と言われたりする。賢くなると、好きでもないことを義務感や生活のために仕方なくやる必要性が生じる。それが賢いやり方だからだ。

『人間は考える葦である』。葦のような脆弱な存在でも考えるという大いなる能力がある、だから人間は素晴らしい。私は今葦ではない。大人だ。