narative.

物語。日常。代わり映えのしないもの。

同居人に家賃を払わせたい。

ちょっと前から同居人がいる。なんとなくそのときから一緒にいて、なんとなく一緒に住んだ。もともと一人暮らしをするために借りた家で二人には手狭、でも一緒に住んでいるのだからやっぱりそいつの分のスペースは必要で。

そいつって言うのはやめよう、あっちゃんと呼んでる。あっちゃんとどこで出会ったのかも実はよく覚えていなくて、ただそのときひどく酔っ払っていたなあということは、なんとなく、覚えている? かな。で、気付いたらあっちゃんが部屋にいて、それから当然のように部屋にいる。

あっちゃんがいるとまあなんだかんだ安心するし、一応、家事? とかはやってくれるし、――まあ自分ができるやつだけだけれど。いいかな、一緒に住んでも。と思うのだけれど。ひとつ思うことがあって。

あっちゃんは家賃を払ってくれない。いや、べつにあっちゃんに全部負担しろって話ではなくて、半額でいい。というか当たり前じゃない? 一緒に住んでるのだから家賃を折半してくれって、当たり前の話だと思う。

最初は「まあ、名義はあっちゃんじゃないしなあ」と思って当たり前に全部自分が払っていた。けれど数ヶ月経って少しおかしいと感じてきて、友達に相談したりして「絶対おかしいよ」と言われたりして、ああやっぱりおかしいんだ、と思ったり。

「同棲してるの?」

「いや、同棲っていうか……ただ一緒にいるだけで……」

「どこまでやったの?」

「……なにも」

ここまで言ってしまうと、皆が皆おかしい、追い出せ、家賃を出させろと口を酸っぱく言う。そうするとその通りだ、それが世間一般の声で常識で当たり前で当然のことだ、とやっぱり思ってしまって家に帰ったらあっちゃんに今度こそ言うぞ、と決意を新たにするのだが、なんとなく帰って背中を見たらなんとなくの安心感で口に出すことを忘れてしまう。ばかだな。

でも、さすがに、いい加減言わなきゃと考え直して、今日言ってみた。

「あっちゃん、ここ家賃いくらか知ってる?」

答えない。あっちゃんはだいたいいつも黙っている。

「三万三千円なんだ。安いでしょ。広いのに、いいよね。お風呂も結構大きいし、ふたり入れるよね。トイレも――いやそうじゃなくて」

ちがう。別に「ふたりで住むのに結構いいよね」みたいな惚気をしたいわけじゃなかった。

「あのね、やっぱりあっちゃんにも半分出してもらいたい。家賃。まああっちゃん仕事してないし、厳しいならせめて一万円でもいい。同じ家に住んでるわけだから、出して」

言えた。やっと言えた。

いつもなんとはなしに宙へ浮いていた言葉が、やっと言えた。ちょっと感動する。でも当のあっちゃんはいつも通り隅でじっとして口を開かない。だめだな、こういうときは論理的に攻めるといいって雑誌に書いてあった気がする。

「……この家40㎡あるんだ。で、あっちゃんの体積からするとね、」

あっちゃんはこのくらいの大きさだから三万三千円をあっちゃんの体積で割るといくらになる、さらに移動範囲を追加するといくら、いくら、滔々と語りかけてみた。

でもあっちゃんはずっとじっとしていて、流し目でただこっちを見ている。別に色っぽくなんかないぞ。続ける。

「ご飯作ってるのはどっち? 確かに気を遣って夜中とかは静かにしてくれてるけど、でもそんな気を遣うぐらいだったら家賃を払って欲しい。家賃払ったら夜中うるさくしていいってワケじゃないけどさ」

返してこない。たぶん、やることやってんだからいいだろ、と考えている気がする。ああそうですか。そうですよ、確かにあっちゃんは家事くらいはやってるかもしれないけど。熱が入ってきた。

「あのね、家事やってたらそれでいって、それ違うからね。あっちゃんは自分の得意なことだから、だからやってるわけでしょ。でもそれでお金もらってるわけじゃないよね。そう、お金、お金の話。お金をちゃんと払おうって言ってるの。お金を負担しましょうって、住んでるわけだから」

ため息が聞こえる。実際にはしていないのかもしれない、けれど聞こえる。聞こえた。してた。この野郎。ちょっとデカイからって調子にのりやがって。

「あのね、その気になれば追い出せるんだからね。別にあっちゃんいなくても平気だから。ほんとだよ。あっちゃんなんかしてる? 家事以外でなんかやってる? あっちゃんがいないと絶対駄目だっていう、そういうことをお――」

早口で一気にまくし立てていたら、視界の端に黒いモノが写った。――ゴキブリだ。

「ぎゃっ」

野太い声が出た。だめだだめだ、うそだ、今まで見なかったのに急に、なんでこんなときに。

すると、あっちゃんが素早く動いた。ゴキブリよりも早く、迅速にのし掛かって、すべての足で動きを止め、そして殺した。

……やってることは知ってたけど、はじめてみた。あっちゃんの家事するところ……

殺したゴキブリをもしゃりもしゃりと食べながら、こっちを流し見している。ほら、な? そんなことを言っている、ような気がする。したり顔、のような気がする。

「……」

もう、もう、もう、もうもう。ああもう。

だからキライなんだ、アシダカグモなんか。バカばっかりだ。ちょっとゴキブリが殺せれば、それで人間が喜ぶと思って、でも人目につかないところでひっそりとやっていて、それが格好いいと思ってる。ああ、もう。

一丁前に長い足を――綺麗な足だなんて思わない――掃除しながらゴキブリをたいらげて、あっちゃんは冷蔵庫の下へ消えてしまった。くそ、またうやむやになった。バカなんだ、アシダカグモなんか。

でも、そんなアシダカグモにドキッとした俺も、まあ、バカなのか。

「……来月からは払ってよ、家賃」

冷蔵庫の下に投げかけた俺の言葉は、またも宙に浮いたまま、換気扇の中に消えていった。

友達を殺してしまったはなし。

 梅雨が近い。この湿り気を帯びた空気を感じる度に思い出すことがある。

 ぼくは友達を殺してしまったことがある。

 

 小学5、6年生の時分だったと思う。ただ毎日笑っていればそれですべてが済んだ、楽しかった時期。このころ、【バトル・ロワイアル】という小説が流行っていた。数年前まで大流行していたデスゲーム系の漫画やらの源流で、修学旅行中にクラス毎拉致され、国の施策によって殺し合いをさせられる、という小説。当時大変に問題になり、大変に話題になり、大変に夢中になった。ぼくもバトル・ロワイアルが大好きだった。

 なにがそんなに好きだったのだろう。ぼんやりとしか思い出せないけれど、やっぱり非日常的な刺激感、しかもクラスで殺し合いをする、という日常に溶け出す非日常感。それが好きだったのかもしれない。

 あの小説は国会でも取り上げられたほど議論を呼び、いわんや青少年に悪影響である、けれども表現の自由がある、喧々諤々だった。学校に持って行き、先生に見つかれば取り上げられた。図書室では貸し出し制限を受けていた。ぼくは当時から平均よりは読書好きな方で、図書室にもよく通っていたし司書さんにも「石丸君にならいいよ」ということで貸し出しを許してもらっていた。夢中になって読んでいた。おそらく、何回か読み直した。割合分厚かったがそんなに難しい話でもなし、重い文体でもなし。なんどもなんども読んだ。

 

「今世間を騒がせている小説、【バトル・ロワイアル】ですが……」テレビでそんな声が聞こえる。こういった本がこどもに与える影響。そんなことを言っている。ぼくは鼻で笑っていた。ぼくを見ろ、なんともないぞ、と。たしかに勉強ができるほうではない、真面目なほうでもない。でもぼくは、あの本を読んで人を殴ったり、ましてや殺したりなんてしない。ぼくが正常である限り、ぼく自身があの本の正当性の証左なのだと考えていた。あの日までは。

 

 寝苦しい日だった。ちょうど今日のように、しとしととした短く細やかな雨が降り、空気がじめりと肌にまとわりつくような、嫌な夜だった。ひどく寝苦しかった。

 ぼくは、バトル・ロワイアルの世界にいた。一瞬なにが起きたのかわからなかった。でもすぐに合点がいった。ここはバトル・ロワイアルの中だ。脳内で何度も思い描いた光景が広がっている。ざわつくクラスメイト、淡々とそれでいて嫌らしくBR法の概要を告げる教師。

 説明――喧騒――銃声――血飛沫。映画の中みたいに一連の出来事が、ぼくたちの生き死にが、くそったれな法律に基づいて進められていた。

 BRではひとりひとり武器の支給を受ける。ぼくは性が“い”で始まるので、2番目にボストンバッグを受け取った。気色の悪い重さだ。でも、正直なところ、少しわくわくしていた自分を否定できなかった。これからなにをするのかわかっているのか?――わかっている、クラスメイトを殺すんだ――できるか?――できない、だったらどうする――わからない、とりあえず、友達を待とう。

 ぼくは戸外に出て友達を待った。仲のよかったEくんが出てきた。ぼくは小声でEくんに話しかけ、行動を共にしようと誘った。Eくんは快諾した。

 Eくん――ぼくと同じで本が好きだった。ぼくよりもずっと好きで、ぼくよりもずっと真面目だし、ぼくよりもずっと成績もよかった。いい奴だった。当然、ぼくたち二人はBRを知っていたし読んでいた。

 まさか本当になるとはな。びっくりだよな。変にはしゃいでいたふたりは、ドラえもんに出てくるような土管が置いてある空き地に出た。

「ねえ、武器を確認してみようよ」

 言われて、まずはEくんのバッグを開けた。野球のバットだ。これはハズレだろう。次はぼく。ぼくのバッグには――ピストルが入っていた。ステンレスの静かな冷たさと、こどもには過ぎた重さ。両の手でやっと保持できるくらい、ぼくたちには過ぎたものだ。

「やった! これはアタリじゃないか?」

 ぼくたちははしゃいだ。始めて拳銃なんか見たんだ。どうやって撃つのだろう。このトリガーを引くんだ。引けないぞ。

 ぼくはEくんの前で一発撃ってみたくて、あれやこれやとピストルを弄っていた。すると、カチンと金属の高い音がした。たぶん今考えると、あれはセーフティが外れた音だったのだろう。そしてぼくは“今までと同じように弄り続け”トリガーに指を掛けた。ばすん、とくぐもった音がした。薬莢が地面に落ちている。

 うわあ、撃てた。びっくりしてEくんを見ると、ぼく以上に驚愕した顔色だ。口をぱくぱくさせて、信じられないという目をしていた。

 Eくんの左胸から、おびただしい量の血が流れていた。どうして? 誰が? 少しも考える間も必要なく、結論はひとつしかなく、さっきのぼくの発砲しかない。

 Eくんがその場に膝から崩れ落ちた。口を閉じたり、開いたりしている。ぼくはパニックになっている。ピストルを投げ捨て、駆け寄り、でもどうにもできない。ただただベトついた汗だけが出てくる。ぼくになにか言おうとしているEくんの手を握って、ひたすらぼくは謝った。

「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……」そんなつもりはなかった。ちがうんだ。ちがう。

「ごめん」

 何度目のごめんを言ったか、Eくんの手からは温度が消えた。目からもなにかが消えた。Eくんはたぶん、死んだ。ぼくが殺してしまった。

 

 朝は昨日と打って変わって快晴だった。でもぼくの布団はじめっとしていて、それが自分の汗のせいであることはすぐにわかった。

 ――なんてことをしてしまったんだ。

 ぼくはまだ考えの整理が付かなかった。とりあえず学校に行かなければ。でも、Eくん――Eくんになんて言おう?

 

 あれほど学校に行くのが嫌だったことはない。夏休み明けよりも、ずっとずっといやな登校だった。

「おはよう」

 Eくんが挨拶をしてくれた。ぼくは、それですっかり泣きたくなってしまって、ただかすれたような声で、「ごめん」と同じことを言うしかなかった。

「は?」

「ごめん。本当にごめん」

「なにが?」

「ごめん」

 許してもらえるはずがない。失った命は戻ってこない。Eくんはぼくが殺してしまった。でもEくんにそれをなんて説明すればいいんだ?

 もうバトル・ロワイアルを読むのはやめよう。それがぼくにできる、せめてものEくんへの手向けと、償いだ。

「ごめんね、Eくん」

「なんなの?」

 Eくんを失った悲しみで、ぼくはEくんの質問が耳に入らなかった。Eくんはその後も謝罪の意味をずっと訊いてきたけれど、Eくんは、もう、戻らない。

 

 

 今、ぼくは28歳になった。Eくんも28歳になっている。もし生きていれば、今頃は28歳だったはずだ。

 Eくんは今も東京で頑張っている。大人になってから一生懸命勉強して司書資格を取り、司書さんになり、日々を暮らしている。ぼくもぼくで結局地元に戻ってきてしまったが、Eくんとの交流は今も続いている。

 でも。

 もしかして、たられば、の話だけれども。

 もしぼくがあのときEくんを殺していなければ、もっと違った人生があったのではないか。少なくとも、Eくんは今もどこかにいたはずに違いないのだから。

 Twitterを見る。Eくんが呟いている。仕事をがんばっている。もしEくんが生きて――いや、自分の罪を誤魔化すような言い方はやめよう。ぼくが殺していなければ、EくんだってEくんみたいにTwitterを楽しんでいたはずなのに。

 

 この時期、手を合わせる度にぼくは思い出す。

 本が大好きだったEくん。やさしかったEくん。真面目だったEくん。いいやつだったEくん。――ぼくが殺してしまった、Eくん。

 晩ご飯を食べる前の手合わせを終えて、ぼくはカレーと一緒にEくんとの思い出を飲み込んだ。Eくん、長生きしてくれよ。

みんな攻撃的すぎる。もっとアクティブに妄想してこ。

今のインターネッツって攻撃的すぎませんか。もっと具体的にいうとSNS、というかTwitter

皆刺々しいしピリピリしてますよね。加減を間違えた担々麺みたいな感じ。麺が旨いのはわかっているけれど上の坦々がキツすぎる。麺にも絡めづらいわ。

 

だからあんまり長時間見ているのが辛くなってきています。それなら5ちゃんねるのコマンドーガイドラインスレッドにいた方が面白い。何の毒もない。平和。

 

ガイドライン板の人たちって全部語録でしゃべりますから、争いが起こりそうになっても語録で返して済ませるので皆ロボットかなんかじゃないかと思うことがありますね。でもたまに書き込みに私生活が混じってそれが面白い。「起こさないでくれ、風邪を引いて死ぬほど疲れてる」やら「熟女ものは好きだぜ大佐ぁ」やら言い出して、そこにも何人かレスを返したりして、ああこの人らにも普通の生活があって考えがあって、普通の人間なんだなあということが強く意識される瞬間があるんです。

 

それでいうとSNSはまずはじめに個人の表層があって、それに肉付けをする形で発言がどんどん連なっていくでしょう。だから発言の一個一個に個人そのものが絡まっていて逆に変な発言が重ねると人間味が薄れていく。記号的になっていってしまうんです。個人が多すぎて私たちが個々で処理できないので、大枠で「こういう発言を好む連中」みたいに分けていっている感じ。わかりますかね。クラスタとかその概念だと思うんですよね。

 

それは置いといて、そんな風に記号化された個人に対してやっぱり他の人たちも攻撃的になっていっているというか、5ちゃんのスレみたいにふと人間を思わせる瞬間がない分余計に攻撃されていく風潮があると思うんです。

いや、ちょっとちょっと。私はちょっとちょっとしたいです。特に我らがオタク諸君。

そこは妄想のしどころではないかと。

 

私たちは究極的に記号であるはずの二次元にはあらゆる妄想や肉付けを平気で楽しんでできるのに、それが文字を打ち込んでいる人間になるとすっごく難しくなるのは何ででしょう。画面の向こうの誰も彼も人間です。

 

でも、たしかに、日々ネットで暴れているあらゆる人らの生活を妄想すると火を噴くバイクにまたがって人間の頭でゴルフとかしてそうなイメージしか湧きません。じゃあ別にいいか文章で攻撃したって、ではない。違う。誰も彼もそんなマッドマックスな人間ではない。普通の人たちのはずです。それどころかもっとあなたに近しい人かもしれない。

 

諸々拗らせて日々ネットで暴れるそこのあなた。あなたが嫌悪しているアニメアイコンのその一人は、実は中学生の時分に密かに恋い焦がれていたTくんかもしれません。

「そんなわけがない。サッカー部で成績もよかったTくんは日曜の朝からプリキュアの実況なんてしないしアイコンをアニメにしないしVTuberにはまったりしない!」と反論するでしょうが、待つのです。深いわけがあるんです。

Tくんは、あなたとは高校が別でしたね。その高校でTくんは膝が爆発してしまいます。原因はわかりませんがとにかく膝が爆発します。それでサッカーができなくなるし、膝の爆発の治療に手間取って勉学も遅れてしまう。なんなら留年しちゃった。Tくんは激しい抑うつ状態に陥ります。俺なんて価値のない人間だ。そのせいで学校も休みがちになる。そんな中日曜の朝たまたまつけたテレビで、華奢な少女が傷つきながらも信念と仲間を信じて戦っています。Tくんは、はじめは斜に構えて見ていました。ケッ、夢物語だ、と。しかし、気づくと一粒の涙が頬を伝っています。この子たちは戦っている。それに比べて俺は何だ。膝が爆発したくらいでふて腐れて、人生が終わったような顔をして……それからTくんは毎週プリキュアを観ました。ぷいきゅあがんばえーしました。次第に彼の心はどんどんと快復に向かいます。そして、一年遅れながらもしっかりと高校を卒業し、膝が爆発したハンデがありながらも大学に進み、今では立派な社会人です。彼は自分を叱咤激励してくれたプリキュアに感謝を込めて、今でも日曜の朝はプリキュアの実況をしているのです……VTuberにはまったのはよくわかりません。膝が爆発したからからもしれませんね。

 

どうですか。そのキショいアニメアイコンが本当にTくんじゃないと言い切れますか?

別にこれは一例で、書き込みの一つを見てムキーッとなる前にそれを書くに至った経緯や背景、日常の様子などを“妄想”してあげたら少し頭が冷えるんじゃないか、という話です。

これは「相手の気持ちを考えましょう」というお説教ではありません。妄想しろと言ってるんです。完全に相手を自分勝手に解釈して決めてかかってもいいんです。ただ、それをちょっとだけ優しい方向に向けられないかな、という話なんです。

 

ずいぶん怒った口調だな、嫌なことがあったんだろうな、たぶん職場で嫌みでも言われたかな。

えらく政治にご不満だな。身内に代議士でもいて日々酒池肉林の様子を見ていて嫌気が指してるんだろうな。

こんな感じで、自分勝手な妄想を相手に肉付けしていって、画面上の怒りをいなせないかなと。

 

相手が怒っているのに合わせてこっちも怒って、あまつさえ怒りのリプライなんかぶつけたりして、それを繰り返すと今度はよくない妄想が膨らんでいきますよね。

こいつは敵だ、あいつの身内だな、どうせろくでもない人間だ。

そうなる手前で、どうせ妄想するなら優しく平和な妄想だけで場を納めるのもいいんじゃないんでしょうか。

自分と他人に優しい妄想を大いにした方が世の中は楽しいと思います。

そんな風に100個ほど妄想すれば、2・3個は真実があったりするかもしれません。

 

ちなみにTくんはアニメアイコンにしたりしないと思います。どうせTikTokとかふわっちとかやってるに違いない。instagramでストーリーばっかり更新して写真にはタグを糞ほど付けているに違いない。まず間違いないですね。成績優秀なモテているサッカー部員なんてそんなろくでもない人間ばっかりです。断言できます。

 

壊れた加湿器。

加湿器が壊れた。いつもつけっぱなしにしていたものだから、きっとそれがいけなかった。LEDは弱々しく仄かに点滅し、上がるべき蒸気は内々に留まってただ小さく水が吹き上がっているだけだ。

処分してしまいたくてリサイクルショップに持って行くと買い取りできないと言われた。タダでも貰ってくれないものかと思ったがそういう訳にもいかないか。それはそうだな。

そのついでに、幾らかお金になるかしらとあれこれ売ってしまった。数千円にしかならない。でも給料日まで、これでガソリン代にでもなれば充分だろう。家のものがどんどんくだらない日銭に代わっていく。バイクの“かかり”がよくない。壊れている最中なのかも。仕事を変えて帰るのはいつも12時過ぎ。背中は痛い。この間は友人が深刻な顔でなにかを言おうとして、結局何も告げずにひとり耐えていた。他の友人は転職するかもと言っていた。妹はアパートを引き払うらしい……

加湿器は壊れた。もしかしたら壊れていないかもしれないと、またコンセントに挿して二三度電源を入れてみる。微かに光るLEDと、出もしない蒸気。

タダでもいいから、これを誰か処分してくれないだろうか。そうすれば、せめて、次に何を買うかを気兼ねせず決められるのに。

ものがどんどん壊れていく。ものがどんどん無くなっていく。ひとがどんどん変わっていく。

維持をすること、ただそれだけが僕らの生活でどんなに難しいことなのだろうか。

変わらないことはよいことなのだと、とても努力が必要なのだと誰か教えてくれていれば、僕はせめて加湿器くらいは壊さずに済んだのかもしれない。

ずっと取っておいたビックリマンチョコ。

手元にある一枚の紙を眺めながら、これでいいのだよな、と思ってみたり、でもその数分後にはちょっと調べて落ち込んでみたり、いや、まだ自分にはなにかやれるのではないか、といくつかインターネットを巡ったりしてみたりするけれど、でも、やっぱり、手元の一枚の紙が自分には一番分相応だな、と最後には思う。

 

いつの日か掴みかけたまた別の紙だとか、実際に掴んでいた遙かに分厚い紙だとか、そういうものが記憶の片隅にあって、どうにもこの手元の紙が自分のものではないような気がしている。けれど、気がしているだけで、やっぱりこの紙が私なのだ。私に相応しい。

けれども。そもそも。

私はこんな一枚の紙でも、百枚ある紙でもなくて、私はもっと別のなにかが欲しかったのだと思う。そうなりたくて、ぼうっと夢想していたのだ。

 

実家から持ってきたひとつのブックレットを見る。小さい頃集めたビックリマンチョコが綴じてある。丁寧にひとつずつわけて、集められた分だけ綴じてある。いつの間にかビックリマンチョコは販売されなくなって、ブックレットの空きは半分以上にもなる。特段思い入れがあったわけではないが、いつか価値が出るのはないか、と感じて大切に今まで取っておいていた。

 

私は別に、完全にコンプリートしようとして集めていたわけではなかった。

ただたまたま買えたらその分だけ集めていただけで。積極的に買ってはいたけれど、他のお菓子を買わずにこれだけを買うんだ、とまではいかなかった。全部集まっていれば、調べるとそこそこ値が付くみたいだけれど、この中途半端さでは、せいぜい数百円がいいところ。

この先どれだけ待っても、価値が付くことなんてないだろう。だけれども私はこのブックレットを捨てられないでいる。もはやいつの日か、とも考えてはいないのかもしれない。

 

ただただ私は捨てられない。価値があったかもしれない、たくさん空きのあるこのブックレットを捨てられない。

 

手元の一枚の紙を見た。ビックリマンチョコほどキラキラしていないけれど、やはり、この紙が私に相応しい気がする。

耐え難い日常の重さ。

明日も明後日も恐らくは私たちの意識は連続して続いていく。

明日も明後日も恐らくは私たちがやることは変わりない。

そのことが私に吐き気を覚えさせることがある。続いているということが耐え難く重く感じられることがある。

日に重しが足されていき、日が重なるごとに鈍くなる。

 

勤務していたお店が潰れるらしい。突然の報せで、私は休みの日だったのでスタッフの中で一番最後に聞いた。私以外は十年以上勤めている人間ばかりで、みな、顔には出さないが一様に驚いていた。

「今月いっぱいまでやるから」店長が私に言う。

「有終の美を飾ろう」

この場合の有終の美とはなんだろう? このことを他のスタッフに話すと、大きく笑っていた。無理をしているように見えた。

 

今年の猛暑(ではなく、酷暑)は耐え難く、冷房が全く効かない。業務用のクーラーを導入しているはずだが、どうも年式も古くおまけに調子もよくなく、全く冷えない。“うだる”とはこのことだ。オマケに――この店はなくなる。私たちは失職する。

「やる気出ないよなあ……」

夜勤で一緒のスタッフが独り言のように呟いた。

「意味があるのかないのかよくわかりませんよね」

「俺もう、出たくないもん。次どうしようかなあ。有給と給付があるからしばらくゆっくりするけどさ……」

カウンターでそんな会話をする私たちも、お客様が来たなら普段通り接しなければならない。会員カードを作りたいと言われたら作る。商品の案内をする。返却日を報せる。私たちが彼らの日常の一部であるから、私たちもまだそうであるように演じなければならない。しかし、私たちの日常はもうなくなるのだ。

いつも通りの仕事をする。その中にいつもとは違う仕事が混じる。棚の商品が目に見えて減っていく。補充されない。カレンダーが減る。足されることはない。終わりが見えている。先がない。

 

ここでの私たちには、もう先がない。しかし私たち個人には先がある。少し先の天井から日常だったものががたんと落ちてきた。そこに置かれっぱなしだ。私たちは歩みを止めることができず、どんどんとそこに近づいていく。次第に形がハッキリしはじめて、きちんと見えたころには思い出よりも醜悪に感じるだろう。これでよかった、さっぱりした、と感じさえするかもしれない。だが“その先”に足を進めた途端、一歩一歩と離れていく内に、いかにそれがどんなに尊く輝かしいものだったのか嫌でも思い知らされることになる。

 

「これ、よかったら一月ばかりお店に貼ってくれませんか」

「はぁ……」

「いいですかね?」

「……別に構いません」

「ありがとうございます」

近所の薬局の方がスポンサーになっているらしい、なにかの演目のポスターを手渡された。カウンター裏に置いて、メモを残しておく。

『一月ほど貼ってほしいと○○薬局さんからお願いがありました』

そこまで書いて、一月後が何月何日なのかカレンダーを振り返った。

予定では、もうこのお店はない。それまでこのカレンダーが何人の人に見られるのだろう。それまでは私たちは誰かの日常の一部のふりをしなければならないのだろう。

 

その日からは、私はやることが多少は変わるのだろうか?

意識も多少は起伏に富むだろうか?

多分そうだろう。

続かなくなるのだから、重しと私が称したものはなくなるはずなのだ。

そうだろうが、吐き気が止むことは特になかった。日常はただひたすら続くしかないのだから。

僕のしょうもない親父。

俺の父親はしょうもない。人間の屑。まず職業がしょうもない。定義的には職にはついておらず、ただ日がな一日パチンコをして、なにかあったら“事務所”に寄って、夜には負けて怒って家に帰ってくる。それで30万円もらっていたらしい。ヤ○ザってすげえな。

 

次に子育てがしょうもない。基本的になんでも放置するくせに殴る蹴るだけはしっかりやる。それで骨折して医者に行けば、後ろで「階段で転んだんだよな?」と俺に言ってくる。首肯した。なにをしても褒めない。絵画コンクールで1番になっても褒めない。その後入賞常連になったけれど「1番じゃないからなあ」とか言ってついぞ褒められたことがなかった。でも罰だけは与える。サディズムがすげえな。

 

性格がしょうもない。あれをしてやった、これをしてやったばかりで「してやれなかった」「してしまった」ことを一度も口にしたことがない。謝罪をしない。小さい頃電気屋で店頭デモのパソコンを夢中になって遊んでいると、父親が切れてしまい店員を殴って怒鳴り散らしていた。お兄さんは鼻血を出しながら怯えきっていた。屑。すげえな。

 

考え方がしょうもない。俺が精神の病気になってもそれを認めようとしなかった。父から見るとただの怠け者らしいので、これで治るはずだと整体だの電気治療だの行かされた。俺は今も障害者手帳を持っている。顧みなさすげえな。

 

 

俺の父親は本当にしょうもない。職業が本当にしょうもない。抗争になって“指定”になって、家にいると俺達兄妹も殺されかねないから1週間に一度しか帰ってこなくなった。1週間に一度、いつ殺されるかわからないのにきっちり家に帰ってきて、お金と1週間分の食べ物を置いていく。ワケは何も言わない。俺はそれをいいことに学校はサボり夜更かしして笑っていた。すげえな。

俺達が県外へ出ることを望んでいた。自分の評判が悪すぎるからということらしい。“自分の子どもだと知られない方がこの子たちのため”だと思っていたようだ。すげえな。

 

子育てが本当にしょうもない。欲しいと口に出して言えば、どんなに家計が苦しくてもきちんと買ってくれた。なにかしても謝りさえすれば一応許してくれた。風呂場で、妹とふざけて溺れたふりをして「助けてー」と叫んでいたら血相を変えて駆けてきた。なんでも自由にやらせてくれた。すげえな。

裁判で親権は父に移った。母親は俺達を育児放棄していて、保育園の先生から見ても「お父さんに育てられなかったらあなたたちは死んでいた」らしい。ヤ○ザになったくらいだから自分だって碌な育てられ方をしていなかったくせに、知りもしない無理した男手一つの育て方で今俺は27歳になっている。「この子たちには母親がいないから、その分、物くらいは」と無理をして色んなものを買ってくれた。美味いものをたくさん食べさせてくれた。それもあってか、今では自身が惨めな暮らしをしている。すげえな。

 

性格が本当にしょうもない。今は自分だってお金なんてないのに、何も言わず家出して関東に行った馬鹿息子が「生活が苦しい」と言えばお金を送ってくれた。精神がおかしくなった俺が「死ぬから探すな」と書き置きすれば、あらゆる方面に連絡して探してくれた。昔から家出をしたら絶対に探して、見つけて家に帰した。すげえな。

いつも俺に彼女ができないか聞いてくる。お前は痩せればモテるぞと笑う。妹が結婚したとき、式場で泣いていた。家でも泣いていた。妹が癌になって死ぬかもしれないときには、どんなに金がかかっても治せる先生を見つけて付きっきりで看病していた。俺が難聴になってしまったときも、県で唯一治せる病院に入れてくれた。精神病も知識なんてないくせに方々に相談して一番定評のある病院に入れた。すげえな。

ヤ○ザである自分が長生きしていることに罪悪感と疑問を感じている。「あそこの○○さんはきちんと働いて真面目だったのに亡くなって、俺がまだ生きていて……」と最近よくこぼす。抗争で仲間内は皆死んでしまって、自分だけが生きていることが虚しいらしい。すげえな。

 

考え方が本当にしょうもない。生活費だけは絶対に取っておいた。今でも浪費癖が激しい俺に貯蓄の重要性と効果的な資金の分け方を毎回教えてくれる。どら息子は何度聞いても実行しない。すげえな。

今頃になって“自分が何をしてもらっていたか”にようやく考えが至った阿呆息子が仕送りやらを持って行くとお礼を言ってくれる。俺はしてくれるのが当たり前だとありがとうなんて言ったことがないのに。すげえな。

いつ死んでもおかしくないと思っているらしい。もう72歳になる。身体も弱って思考も鈍って、それでようやく自分の胸の内やなぜ昔そうしたのかを話してくれるようになった。これを書いていて、そういえば、という風にしてもらったことが湯水のように湧いてきた。涙がとまらない。すげえな。

 

息子がしょうもない。本当にしょうもない。自分のことしか考えておらず、いつまでも親から何をされただのしてもらえなかっただの不満に思っていた。何をしてあげられるかを考えていない。世間で言う毒親に自分の父親もピッタリ当てはまると、一致する部分だけをことさらあげつらっていた。一体どれだけのことをしてもらったのか考えていない。あとどれだけ話ができるのかわかっていない。息子は掛け値なしにしょうもない。

 

 

俺の父親はしょうもない。実にしょうもない。

俺にできる復讐は、父の残る余生をしょうもなく平和に静かに、奴の領分であるしょうもない争いとは無縁の生活にさせてしょうもない退屈のまま過ごさせることだと思う。なんだかんだ実家を訪れたら2時間ぐらい話して帰る。しょうもない。

未だに俺を心配している。しょうもない。笑って話してるがそいつは裏ではあんたの悪口を山ほど言いまくっていた人間の屑なんだぞ。しょうもない。騙されやがって。

騙されたまま笑って余生を送れ。震えて眠れ。しょうもない。