narative.

物語。日常。代わり映えのしないもの。

同居人に家賃を払わせたい。

ちょっと前から同居人がいる。なんとなくそのときから一緒にいて、なんとなく一緒に住んだ。もともと一人暮らしをするために借りた家で二人には手狭、でも一緒に住んでいるのだからやっぱりそいつの分のスペースは必要で。

そいつって言うのはやめよう、あっちゃんと呼んでる。あっちゃんとどこで出会ったのかも実はよく覚えていなくて、ただそのときひどく酔っ払っていたなあということは、なんとなく、覚えている? かな。で、気付いたらあっちゃんが部屋にいて、それから当然のように部屋にいる。

あっちゃんがいるとまあなんだかんだ安心するし、一応、家事? とかはやってくれるし、――まあ自分ができるやつだけだけれど。いいかな、一緒に住んでも。と思うのだけれど。ひとつ思うことがあって。

あっちゃんは家賃を払ってくれない。いや、べつにあっちゃんに全部負担しろって話ではなくて、半額でいい。というか当たり前じゃない? 一緒に住んでるのだから家賃を折半してくれって、当たり前の話だと思う。

最初は「まあ、名義はあっちゃんじゃないしなあ」と思って当たり前に全部自分が払っていた。けれど数ヶ月経って少しおかしいと感じてきて、友達に相談したりして「絶対おかしいよ」と言われたりして、ああやっぱりおかしいんだ、と思ったり。

「同棲してるの?」

「いや、同棲っていうか……ただ一緒にいるだけで……」

「どこまでやったの?」

「……なにも」

ここまで言ってしまうと、皆が皆おかしい、追い出せ、家賃を出させろと口を酸っぱく言う。そうするとその通りだ、それが世間一般の声で常識で当たり前で当然のことだ、とやっぱり思ってしまって家に帰ったらあっちゃんに今度こそ言うぞ、と決意を新たにするのだが、なんとなく帰って背中を見たらなんとなくの安心感で口に出すことを忘れてしまう。ばかだな。

でも、さすがに、いい加減言わなきゃと考え直して、今日言ってみた。

「あっちゃん、ここ家賃いくらか知ってる?」

答えない。あっちゃんはだいたいいつも黙っている。

「三万三千円なんだ。安いでしょ。広いのに、いいよね。お風呂も結構大きいし、ふたり入れるよね。トイレも――いやそうじゃなくて」

ちがう。別に「ふたりで住むのに結構いいよね」みたいな惚気をしたいわけじゃなかった。

「あのね、やっぱりあっちゃんにも半分出してもらいたい。家賃。まああっちゃん仕事してないし、厳しいならせめて一万円でもいい。同じ家に住んでるわけだから、出して」

言えた。やっと言えた。

いつもなんとはなしに宙へ浮いていた言葉が、やっと言えた。ちょっと感動する。でも当のあっちゃんはいつも通り隅でじっとして口を開かない。だめだな、こういうときは論理的に攻めるといいって雑誌に書いてあった気がする。

「……この家40㎡あるんだ。で、あっちゃんの体積からするとね、」

あっちゃんはこのくらいの大きさだから三万三千円をあっちゃんの体積で割るといくらになる、さらに移動範囲を追加するといくら、いくら、滔々と語りかけてみた。

でもあっちゃんはずっとじっとしていて、流し目でただこっちを見ている。別に色っぽくなんかないぞ。続ける。

「ご飯作ってるのはどっち? 確かに気を遣って夜中とかは静かにしてくれてるけど、でもそんな気を遣うぐらいだったら家賃を払って欲しい。家賃払ったら夜中うるさくしていいってワケじゃないけどさ」

返してこない。たぶん、やることやってんだからいいだろ、と考えている気がする。ああそうですか。そうですよ、確かにあっちゃんは家事くらいはやってるかもしれないけど。熱が入ってきた。

「あのね、家事やってたらそれでいって、それ違うからね。あっちゃんは自分の得意なことだから、だからやってるわけでしょ。でもそれでお金もらってるわけじゃないよね。そう、お金、お金の話。お金をちゃんと払おうって言ってるの。お金を負担しましょうって、住んでるわけだから」

ため息が聞こえる。実際にはしていないのかもしれない、けれど聞こえる。聞こえた。してた。この野郎。ちょっとデカイからって調子にのりやがって。

「あのね、その気になれば追い出せるんだからね。別にあっちゃんいなくても平気だから。ほんとだよ。あっちゃんなんかしてる? 家事以外でなんかやってる? あっちゃんがいないと絶対駄目だっていう、そういうことをお――」

早口で一気にまくし立てていたら、視界の端に黒いモノが写った。――ゴキブリだ。

「ぎゃっ」

野太い声が出た。だめだだめだ、うそだ、今まで見なかったのに急に、なんでこんなときに。

すると、あっちゃんが素早く動いた。ゴキブリよりも早く、迅速にのし掛かって、すべての足で動きを止め、そして殺した。

……やってることは知ってたけど、はじめてみた。あっちゃんの家事するところ……

殺したゴキブリをもしゃりもしゃりと食べながら、こっちを流し見している。ほら、な? そんなことを言っている、ような気がする。したり顔、のような気がする。

「……」

もう、もう、もう、もうもう。ああもう。

だからキライなんだ、アシダカグモなんか。バカばっかりだ。ちょっとゴキブリが殺せれば、それで人間が喜ぶと思って、でも人目につかないところでひっそりとやっていて、それが格好いいと思ってる。ああ、もう。

一丁前に長い足を――綺麗な足だなんて思わない――掃除しながらゴキブリをたいらげて、あっちゃんは冷蔵庫の下へ消えてしまった。くそ、またうやむやになった。バカなんだ、アシダカグモなんか。

でも、そんなアシダカグモにドキッとした俺も、まあ、バカなのか。

「……来月からは払ってよ、家賃」

冷蔵庫の下に投げかけた俺の言葉は、またも宙に浮いたまま、換気扇の中に消えていった。