narative.

物語。日常。代わり映えのしないもの。

友達を殺してしまったはなし。

 梅雨が近い。この湿り気を帯びた空気を感じる度に思い出すことがある。

 ぼくは友達を殺してしまったことがある。

 

 小学5、6年生の時分だったと思う。ただ毎日笑っていればそれですべてが済んだ、楽しかった時期。このころ、【バトル・ロワイアル】という小説が流行っていた。数年前まで大流行していたデスゲーム系の漫画やらの源流で、修学旅行中にクラス毎拉致され、国の施策によって殺し合いをさせられる、という小説。当時大変に問題になり、大変に話題になり、大変に夢中になった。ぼくもバトル・ロワイアルが大好きだった。

 なにがそんなに好きだったのだろう。ぼんやりとしか思い出せないけれど、やっぱり非日常的な刺激感、しかもクラスで殺し合いをする、という日常に溶け出す非日常感。それが好きだったのかもしれない。

 あの小説は国会でも取り上げられたほど議論を呼び、いわんや青少年に悪影響である、けれども表現の自由がある、喧々諤々だった。学校に持って行き、先生に見つかれば取り上げられた。図書室では貸し出し制限を受けていた。ぼくは当時から平均よりは読書好きな方で、図書室にもよく通っていたし司書さんにも「石丸君にならいいよ」ということで貸し出しを許してもらっていた。夢中になって読んでいた。おそらく、何回か読み直した。割合分厚かったがそんなに難しい話でもなし、重い文体でもなし。なんどもなんども読んだ。

 

「今世間を騒がせている小説、【バトル・ロワイアル】ですが……」テレビでそんな声が聞こえる。こういった本がこどもに与える影響。そんなことを言っている。ぼくは鼻で笑っていた。ぼくを見ろ、なんともないぞ、と。たしかに勉強ができるほうではない、真面目なほうでもない。でもぼくは、あの本を読んで人を殴ったり、ましてや殺したりなんてしない。ぼくが正常である限り、ぼく自身があの本の正当性の証左なのだと考えていた。あの日までは。

 

 寝苦しい日だった。ちょうど今日のように、しとしととした短く細やかな雨が降り、空気がじめりと肌にまとわりつくような、嫌な夜だった。ひどく寝苦しかった。

 ぼくは、バトル・ロワイアルの世界にいた。一瞬なにが起きたのかわからなかった。でもすぐに合点がいった。ここはバトル・ロワイアルの中だ。脳内で何度も思い描いた光景が広がっている。ざわつくクラスメイト、淡々とそれでいて嫌らしくBR法の概要を告げる教師。

 説明――喧騒――銃声――血飛沫。映画の中みたいに一連の出来事が、ぼくたちの生き死にが、くそったれな法律に基づいて進められていた。

 BRではひとりひとり武器の支給を受ける。ぼくは性が“い”で始まるので、2番目にボストンバッグを受け取った。気色の悪い重さだ。でも、正直なところ、少しわくわくしていた自分を否定できなかった。これからなにをするのかわかっているのか?――わかっている、クラスメイトを殺すんだ――できるか?――できない、だったらどうする――わからない、とりあえず、友達を待とう。

 ぼくは戸外に出て友達を待った。仲のよかったEくんが出てきた。ぼくは小声でEくんに話しかけ、行動を共にしようと誘った。Eくんは快諾した。

 Eくん――ぼくと同じで本が好きだった。ぼくよりもずっと好きで、ぼくよりもずっと真面目だし、ぼくよりもずっと成績もよかった。いい奴だった。当然、ぼくたち二人はBRを知っていたし読んでいた。

 まさか本当になるとはな。びっくりだよな。変にはしゃいでいたふたりは、ドラえもんに出てくるような土管が置いてある空き地に出た。

「ねえ、武器を確認してみようよ」

 言われて、まずはEくんのバッグを開けた。野球のバットだ。これはハズレだろう。次はぼく。ぼくのバッグには――ピストルが入っていた。ステンレスの静かな冷たさと、こどもには過ぎた重さ。両の手でやっと保持できるくらい、ぼくたちには過ぎたものだ。

「やった! これはアタリじゃないか?」

 ぼくたちははしゃいだ。始めて拳銃なんか見たんだ。どうやって撃つのだろう。このトリガーを引くんだ。引けないぞ。

 ぼくはEくんの前で一発撃ってみたくて、あれやこれやとピストルを弄っていた。すると、カチンと金属の高い音がした。たぶん今考えると、あれはセーフティが外れた音だったのだろう。そしてぼくは“今までと同じように弄り続け”トリガーに指を掛けた。ばすん、とくぐもった音がした。薬莢が地面に落ちている。

 うわあ、撃てた。びっくりしてEくんを見ると、ぼく以上に驚愕した顔色だ。口をぱくぱくさせて、信じられないという目をしていた。

 Eくんの左胸から、おびただしい量の血が流れていた。どうして? 誰が? 少しも考える間も必要なく、結論はひとつしかなく、さっきのぼくの発砲しかない。

 Eくんがその場に膝から崩れ落ちた。口を閉じたり、開いたりしている。ぼくはパニックになっている。ピストルを投げ捨て、駆け寄り、でもどうにもできない。ただただベトついた汗だけが出てくる。ぼくになにか言おうとしているEくんの手を握って、ひたすらぼくは謝った。

「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……」そんなつもりはなかった。ちがうんだ。ちがう。

「ごめん」

 何度目のごめんを言ったか、Eくんの手からは温度が消えた。目からもなにかが消えた。Eくんはたぶん、死んだ。ぼくが殺してしまった。

 

 朝は昨日と打って変わって快晴だった。でもぼくの布団はじめっとしていて、それが自分の汗のせいであることはすぐにわかった。

 ――なんてことをしてしまったんだ。

 ぼくはまだ考えの整理が付かなかった。とりあえず学校に行かなければ。でも、Eくん――Eくんになんて言おう?

 

 あれほど学校に行くのが嫌だったことはない。夏休み明けよりも、ずっとずっといやな登校だった。

「おはよう」

 Eくんが挨拶をしてくれた。ぼくは、それですっかり泣きたくなってしまって、ただかすれたような声で、「ごめん」と同じことを言うしかなかった。

「は?」

「ごめん。本当にごめん」

「なにが?」

「ごめん」

 許してもらえるはずがない。失った命は戻ってこない。Eくんはぼくが殺してしまった。でもEくんにそれをなんて説明すればいいんだ?

 もうバトル・ロワイアルを読むのはやめよう。それがぼくにできる、せめてものEくんへの手向けと、償いだ。

「ごめんね、Eくん」

「なんなの?」

 Eくんを失った悲しみで、ぼくはEくんの質問が耳に入らなかった。Eくんはその後も謝罪の意味をずっと訊いてきたけれど、Eくんは、もう、戻らない。

 

 

 今、ぼくは28歳になった。Eくんも28歳になっている。もし生きていれば、今頃は28歳だったはずだ。

 Eくんは今も東京で頑張っている。大人になってから一生懸命勉強して司書資格を取り、司書さんになり、日々を暮らしている。ぼくもぼくで結局地元に戻ってきてしまったが、Eくんとの交流は今も続いている。

 でも。

 もしかして、たられば、の話だけれども。

 もしぼくがあのときEくんを殺していなければ、もっと違った人生があったのではないか。少なくとも、Eくんは今もどこかにいたはずに違いないのだから。

 Twitterを見る。Eくんが呟いている。仕事をがんばっている。もしEくんが生きて――いや、自分の罪を誤魔化すような言い方はやめよう。ぼくが殺していなければ、EくんだってEくんみたいにTwitterを楽しんでいたはずなのに。

 

 この時期、手を合わせる度にぼくは思い出す。

 本が大好きだったEくん。やさしかったEくん。真面目だったEくん。いいやつだったEくん。――ぼくが殺してしまった、Eくん。

 晩ご飯を食べる前の手合わせを終えて、ぼくはカレーと一緒にEくんとの思い出を飲み込んだ。Eくん、長生きしてくれよ。