ずっと取っておいたビックリマンチョコ。
手元にある一枚の紙を眺めながら、これでいいのだよな、と思ってみたり、でもその数分後にはちょっと調べて落ち込んでみたり、いや、まだ自分にはなにかやれるのではないか、といくつかインターネットを巡ったりしてみたりするけれど、でも、やっぱり、手元の一枚の紙が自分には一番分相応だな、と最後には思う。
いつの日か掴みかけたまた別の紙だとか、実際に掴んでいた遙かに分厚い紙だとか、そういうものが記憶の片隅にあって、どうにもこの手元の紙が自分のものではないような気がしている。けれど、気がしているだけで、やっぱりこの紙が私なのだ。私に相応しい。
けれども。そもそも。
私はこんな一枚の紙でも、百枚ある紙でもなくて、私はもっと別のなにかが欲しかったのだと思う。そうなりたくて、ぼうっと夢想していたのだ。
実家から持ってきたひとつのブックレットを見る。小さい頃集めたビックリマンチョコが綴じてある。丁寧にひとつずつわけて、集められた分だけ綴じてある。いつの間にかビックリマンチョコは販売されなくなって、ブックレットの空きは半分以上にもなる。特段思い入れがあったわけではないが、いつか価値が出るのはないか、と感じて大切に今まで取っておいていた。
私は別に、完全にコンプリートしようとして集めていたわけではなかった。
ただたまたま買えたらその分だけ集めていただけで。積極的に買ってはいたけれど、他のお菓子を買わずにこれだけを買うんだ、とまではいかなかった。全部集まっていれば、調べるとそこそこ値が付くみたいだけれど、この中途半端さでは、せいぜい数百円がいいところ。
この先どれだけ待っても、価値が付くことなんてないだろう。だけれども私はこのブックレットを捨てられないでいる。もはやいつの日か、とも考えてはいないのかもしれない。
ただただ私は捨てられない。価値があったかもしれない、たくさん空きのあるこのブックレットを捨てられない。
手元の一枚の紙を見た。ビックリマンチョコほどキラキラしていないけれど、やはり、この紙が私に相応しい気がする。