narative.

物語。日常。代わり映えのしないもの。

耐え難い日常の重さ。

明日も明後日も恐らくは私たちの意識は連続して続いていく。

明日も明後日も恐らくは私たちがやることは変わりない。

そのことが私に吐き気を覚えさせることがある。続いているということが耐え難く重く感じられることがある。

日に重しが足されていき、日が重なるごとに鈍くなる。

 

勤務していたお店が潰れるらしい。突然の報せで、私は休みの日だったのでスタッフの中で一番最後に聞いた。私以外は十年以上勤めている人間ばかりで、みな、顔には出さないが一様に驚いていた。

「今月いっぱいまでやるから」店長が私に言う。

「有終の美を飾ろう」

この場合の有終の美とはなんだろう? このことを他のスタッフに話すと、大きく笑っていた。無理をしているように見えた。

 

今年の猛暑(ではなく、酷暑)は耐え難く、冷房が全く効かない。業務用のクーラーを導入しているはずだが、どうも年式も古くおまけに調子もよくなく、全く冷えない。“うだる”とはこのことだ。オマケに――この店はなくなる。私たちは失職する。

「やる気出ないよなあ……」

夜勤で一緒のスタッフが独り言のように呟いた。

「意味があるのかないのかよくわかりませんよね」

「俺もう、出たくないもん。次どうしようかなあ。有給と給付があるからしばらくゆっくりするけどさ……」

カウンターでそんな会話をする私たちも、お客様が来たなら普段通り接しなければならない。会員カードを作りたいと言われたら作る。商品の案内をする。返却日を報せる。私たちが彼らの日常の一部であるから、私たちもまだそうであるように演じなければならない。しかし、私たちの日常はもうなくなるのだ。

いつも通りの仕事をする。その中にいつもとは違う仕事が混じる。棚の商品が目に見えて減っていく。補充されない。カレンダーが減る。足されることはない。終わりが見えている。先がない。

 

ここでの私たちには、もう先がない。しかし私たち個人には先がある。少し先の天井から日常だったものががたんと落ちてきた。そこに置かれっぱなしだ。私たちは歩みを止めることができず、どんどんとそこに近づいていく。次第に形がハッキリしはじめて、きちんと見えたころには思い出よりも醜悪に感じるだろう。これでよかった、さっぱりした、と感じさえするかもしれない。だが“その先”に足を進めた途端、一歩一歩と離れていく内に、いかにそれがどんなに尊く輝かしいものだったのか嫌でも思い知らされることになる。

 

「これ、よかったら一月ばかりお店に貼ってくれませんか」

「はぁ……」

「いいですかね?」

「……別に構いません」

「ありがとうございます」

近所の薬局の方がスポンサーになっているらしい、なにかの演目のポスターを手渡された。カウンター裏に置いて、メモを残しておく。

『一月ほど貼ってほしいと○○薬局さんからお願いがありました』

そこまで書いて、一月後が何月何日なのかカレンダーを振り返った。

予定では、もうこのお店はない。それまでこのカレンダーが何人の人に見られるのだろう。それまでは私たちは誰かの日常の一部のふりをしなければならないのだろう。

 

その日からは、私はやることが多少は変わるのだろうか?

意識も多少は起伏に富むだろうか?

多分そうだろう。

続かなくなるのだから、重しと私が称したものはなくなるはずなのだ。

そうだろうが、吐き気が止むことは特になかった。日常はただひたすら続くしかないのだから。