narative.

物語。日常。代わり映えのしないもの。

よくわからないまま過ぎていく。

 日常とはなんだろうと考える。最近寝入りが遅く、深夜まで起きている。それに意味があるのかというと全く意味はなく、それを考えたこともない。ただなぜそうなってしまっているのか、それについては気にはなる。変わった薬のせいだとか、とりとめのない不安のせいだとか、それこそ意味のない日常のせいだとか。

 手元の薬を見て、いつまでこれを飲まなければならないのかと自問する。これを飲まないと私は死んでしまうのだろうか。たぶん、そんなことはない。今日でこの薬はなくなる。明日は通院しなければならない。本当なら今日のはずだったが、なんとはなしに明日にした。でも、その明日も意味があるのかどうかよくわからない。

 一日に楽しいことは何度かある。声を出して笑うことはある。感動して泣きさえする。まったく死んでいるわけではない。ただそれだけで、生きているのかと問われると、私は恐らく、生きてはいない。生きているとはなんだろう。呼吸をして細胞が動いていればそれは生きているはずで、SNSで独り言を言ったりすることは十二分に死んでいないことの証左ではないのか。

 時折友達が訊ねてくる。一緒に飯を食う。話をする。一応仕事はある。先は見えないが、たぶん死にはしない。最低というほどではない。

 薄ぼんやりとしたものが視界の端に見え隠れして、それはなんだろうと追いかけている。気付くと瞳がまったく暗がりに覆われ、ざらついて、粒子状というよりはノイズにまみれたデジタル画像だ。それが日常の一秒一秒にまとわり続ける。

 病院に行くのはやめよう。どっちにしても金がない。支払いも溜まっている。事情を話すのもなぜだか馬鹿らしい。受け入れられない気がする。あらゆるものが自壊に向かっている、そんな予感がある。

 日々はさまざまな予感に溢れている。薬を飲まなかったらどうなるだろう。誰になにも言わなかったらどうなるだろう。それはそれでいい。もういいのだと思う。